4Apr
初めてスリランカに行ったとき、
①食事は受け入れている・・・と思い込ませて、
②トイレは・・・毎回勢いつけて、ダッシュで済ませ、(一応個室ですが、ほぼ、穴だけ・・・という感じです)
③シャワーは・・・大自然の中で気持がいいけど、通行人に見られるし^^;(もちろん、タオル巻いてます。。。 向こうも見たくないだろうし^^;)
④寝るときは・・・蚊帳はあるけど、しっかりと蚊帳の中に毎晩入ってきて虫刺されの跡は日々増えていき、両足が倍くらいに腫れて病院に駆け込み
⑤暑さは・・・「暑くない、暑くない・・・」と自分に言いきかせ、
でも、最後には、ストレスで体に蕁麻疹が出て、また病院に行って・・・
という、カルチャーショック、の前に、環境を受け入れることの難しさにすっごく苦しみながら、やっと、やっと日本に帰れる!と思った最後の日の一枚。
今までの人生の中で、こんな自分の顔は見たことがない、というくらい何か乗り越えた顔をしていると、改めて思う一枚。
でも、何故、この「やっと帰れた!」と思った最後の日から、6回も、7回も、8回もスリランカに行ったのかというと、
「使命」
を感じたから、としかいいようがない、本当にそれだけだと思う。
最高に、自分の存在意義を感じるスリランカで、お返しに私ができることは、
彼らにも同じ「存在意義のある人生」を見つけるお手伝いをすること。
「まゆみちゃん」と日本の名前を名付けられた彼女の運命も、きっと、誰かにその存在だけで幸せをもたらし、そして、自分を愛することができる人生を絶対送って欲しい。
「この子が二十歳になるまでは、絶対にこの村に日本語教育を取り入れる夢を諦めません。」
と言ったこの子のお父さんは、本気で今そこに立ち向かっています。
会う度にちょっとずつ痩せているように見えるバンダラさん。
疲れが溜まっている表情が隠せなくなったバンダラさん。
村の人達の強い、強い、村社会の特別な意識に、道をふさがれて、ふさがれて、のことだらけだけど、私にできるのは、こうやって発信し続けること。
苦しいけど、今では、村の8人の子ども達は、日本語の試験を受けて、合格する子も出て来て、
教材も少しずつ増えて、バンダラさんの長女のおしんちゃんは、他の子ども達に日本語を教えられるまでになって、
小さな芽が出ています。
今日は、何回メールしても、バンダラさんが返事をくれなかったから、心配になって、ここで発信してみました。
スリランカの、ポロンナルワという村に、バンダラさんという、一人で、本気で、村の子ども達の将来に自分の人生をかけて、茨の道を歩いている人がいる、ということを皆に知って欲しいし、忘れて欲しくないので、これからも時々ここでバンダラさんのことを発信しますね、バンダラさん。
はぁとinternational
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