8May

今朝、お一人の新米日本語教師の方とお電話しました。
内容は、私が今までたっくさんの日本語教師の皆さんから耳にしたこととほとんど同じ内容でした。
「日本語教師って、もっと楽しいのかと思ってたけど・・・」
「日本語を教えるって、こんなに大変だったんですね・・・」
「授業のない日も、ずっと教案のことを考えてて・・・」
「ぜんぜん楽しいって思えないんです」
「何のために日本語教師になったのか」
「恐怖心さえ沸くようになって・・・」
「続けられるだろうか、日本語教師・・・」
「みんなこんな苦しみ味わっているんですか?!」
そして、私はこうやってお返事しました。
「今の自分にできることしかできないから、開き直って下さい」
「自分の母語を教えるということは、私達は、問題の「答え」は既に知っています。その答えに至る「式」が分からない。でも、その分からない「式」にこだわりすぎて、どんどん自信がなくなっていく。今1度、「私達は、自分が普段使っている「母語を教える」というところに一旦安心して下さい。答えは知っているんですから」
「式=文法」は、もちろんとても大切。私もそう思っています。でも、「文法が分からない」「文法に自信がない」からと言って、教えられないわけではない。文法の勉強を重ねながら、今の自分で、精一杯生徒さん達のためになるアイデアを出して、生徒さんとの「一期一会」も楽しんで下さい」
「学校からの要求を満たさないと・・・とビクビクしている自分、求められてもできない〜と、弱気になっている自分がいるかもしれませんが、そこから一旦意識を外して下さい。非常勤とはそういうこと。無責任に、というわけではないが、「非常勤として」自分の枠内はもちろん責任を持って、でも、必要以上にできない自分を責める必要はないです。その立場で仕事をしている訳ではないので。養成講座でも習わない、学校でも教えてもらえないことは誰もできなくて当たり前」
「母語」ということで、私達は日本語を教えられます。
日本語教師じゃなくても教えられます。
でも、生徒さんからの
「どうして?」
に答えられるのは日本語教師だけです。だから、この「どうしても」に答えるために、「文法」がもちろん大切です。
でも、でも、だからといって、「教えられないわけじゃない」ということを本当に心に刻んでて欲しいと思います。
「どうして?」に答えられる自分を増やしていきたいし、増やしていく、という向上心はもちろん必要です・・・が、必要上に苦しんでいる日本語教師の皆さんのほとんど(私が出会ったほとんどの人)は、「必要以上に」がつくほど、理不尽に苦しんでいるような気がします。
ボランティア精神の強い方が多い「日本語教師」というお仕事をしている皆さんの、心の中の「恐怖心」を取り除くことが必要だな、と、強く思った今日の朝でした。
日本語教師のみなさん、もっと自由に伸び伸びと!
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