23Apr
スリランカでの出来事を受け、
今日まで私は何をどう考えれば良いのか分からなくなっていました。
個別に心配のメッセージを下さる方に
「私は大丈夫です」
とお伝えするのが精一杯の反応でした。
Facebookやメールで目にする
「Pray for Sri Lanka」にも反応することが出来ず、ただボタンを押すことだけで自分の気持ちを表現したくない、というむしろ「Pray for Sri Lanka」という文字を見たくもない、という気持が心を占めていました。
テロの翌日の飛行機を調べ、
「行ける!行こう!」
と思い立ち、本当に行きたくてたまらなかった私の気持ちに、現地にいる1番の私のパートナーの「バンダラさん」は、
「先生、スリランカに来ないで下さい。私がいい、と言うまで来ないで下さい」
というメッセージを送ってきました。
今までは
「先生、早くスリランカに来て下さい。子ども達も待っています。いつ来ますか?」
というメッセージに、私の方が忙しくてなかなか行けない、というやりとりがほとんどだったのに。
「来ないで下さい」
と言われた悲しさと切なさと深い思いに耐えられない思いでした。
きっと
「スリランカを祈る対象として見たくない。気をつけてなんて行きたくない!」
という、まるで子どもが駄々をこねているような気持だったのかもしれません。また、拒絶反応の表れのような気持ちだったのかもしれません。
これは、今まで日本に対しても、韓国に対しても愛国心を持てなかった私の、生まれて初めての
「愛国心」です。
テロの日から、毎日何回も連絡を取っています。
「気をつけて」も何回送ったか分かりません。
「私にできることは何?」と何度も聞きました。
今はここまでしか自分を動かすことが出来ません。
ただ、私の国が、どうかこれ以上苦しまなくていいように、もっと急いで自分を動かさないと。
そして、この事件を絶対に未来に生かす!と、私が生まれ変わったのは確かです。
私の笑顔が少なくなっても、彼らの笑顔が増えて欲しい。
これが、この事件に心を重ねた私から生まれた新しい私の思いです。
この思いが私を動かし、動きになり、彼らの未来を変えるスタートだと信じています。