14May
*2019年 5月17日、起業関連記事をアップデートしています。宜しければご覧下さいませ。
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『起業まで』
日本語教師人生スタート!
今から約10年くらい前、福岡市内にある「日本語教師短期実践養成講座」にふと思い立って行き始めました。
10日間くらいだったと思います。
そして修了後、ご縁があり、そのままそこの学校で非常勤講師として働き始めました。
そこの学校は欧米系が対象の、1グループ5名くらいまでの小さなクラスがいくつかあるスタイルの学校でした。
「ノリ」がいい生徒が多く、授業も生き生きと楽しかったのを良く覚えています。
短期で来日の彼らは、そこそこにお金を貯めて来ている人が多く、日本での生活を思いっきり楽しんでいるようでした。
この学校で約1年。その後、同じような欧米系の学校でまた1年。これらの学校は楽しくはありましたが、プライベートレッスンで1時間1,000円弱、グループレッスンで1時間1,000円〜1,200円程の「アルバイト感覚」のお仕事といった感じでした。
その後、知り合いの日本語教師の方が設立された小さな日本語教室、そして、「認定校」と言われる、1クラス20名くらいの進学を目的とする学校での授業。私の時代は、中国人80%、韓国人10%、その他10%という割合でした。
こんな風にして、約3〜4年間ほど、いろいろな日本語学校で経験を積み、日本語教師界の現状を見てきました。
日本語学校設立
実は、昨年起業する前に、1度ある日本語教師の方と日本語学校を設立したことがあります。
「自分たちの理想の学校を作ろう!」と思い立ち、3人で立ち上げました。
資金面で最も投資して下さった方が社長。
私は学校の教務+運営。
もう1人の方がWeb・広告担当。
バランスがよかったようなスタートでしたが、次第に考え方の違いが浮き彫りになり、私が一番最初に辞退しました。
人間不信
その後、学校設立で気が張っていた数ヶ月の糸がプチッと切れたのと、仲間ときれいな終わり方ができなかったつらさが想像以上に尾を引き、無気力、自信喪失の毎日をしばらく送りました。
「これからは、絶対に人と一緒に仕事はしない!」と、かたくなに心に決めました。
「人はいつかは変わる。もしまた今度傷ついたら、もう2度と人生さえも立ち直れない・・・。」
そう思うほど苦しい毎日でした。
日本語教師のために
その後、私の関心は、自然と日本語教師の世界へ向かいました。
「日本語教師はどうしてこんなにお給料が安いんだろう・・・。」
「男性が少ない理由も、やっぱり収入の面に問題があるんだろうか・・・。」
「日本語教師同士で、技術を高め合ったり、情報交換したりする場ってないよなあ・・・。」
など、自分で経験したこと、周りの日本語教師の皆さんから聞いてきたことが、ずっと頭の中でぐるぐると回っていました。
私にとっては「仲間」でもある日本語教師の多くが、共通の悩みを持っていることがだんだんはっきりしてきました・・・。
それは、
①自分の授業に自信がない。もっと上手に教えたい!
②もっと仕事がしたい!日本語教師だけで生計を立てられるようになりたい!
③海外で教えたい。海外で教える経験をしてみたい!
の3つでした。
その時の私は、まだ日本後教師歴5年。
何ができるのか、何をすればいいのかがはっきり分かっていた訳ではないけど、「自分ができること」が何かあるはず!そして、それが、世界中の同じ悩みを抱える日本語教師の皆さんのためになる活動に繋がれば・・・。
と思い立ち、日本語教師人生6年目から、日本語教師のための活動をスタートすることに決めました。
個人事業→会社設立
まず、個人事業として設立しました。
それは、どんな形でもいいので、「私はこんな活動をやっています!」と、何か社会に示せる形を作ることで、自分に責任感とプレッシャーを与え、趣味やサークル意識から抜け出そうと思ったからです。
税務署に行って、「開業届」という書類1枚に必要事項を書いて、はんこを押してその場で提出するだけ。
お金も時間もかからず、すぐに手続きは終了。誰でもできます!
そこから丸4年間は、個人事業として、上の日本語教師の3つのニーズに応えられるプログラムを作る時間となりました。
実験→修正→実験→修正・・・。とにかく何度も繰り返しました。
その当時、私にあるものは、5年間の日本語教師経験と勘。
ないものは、お金や知識やネームバリュー、その他たくさん・・・。
でも、どうして一歩踏み出せたかと言うと、5年間でも現場を経験してきたことと、現場の日本語教師の生の声をずっと聞いてきたことにあります。
現場から繋がった思いから生まれた活動は、そのまま現場へ還元できる一番直接的で軸がぶれないやり方だ!という部分に100%の自信を持っていました。
私ができる、できない、ではなく、この世の中に必要な活動である、という部分を確信できていたので、積極的に周りの日本語教師を巻き込むことができました。
「これは、私のためだけではない。自分たちの世界を自分たちの手で変える・・・。そう、「Change the world」なんだ。」と。
そこから4年間、収入よりも支出が遙かに多い時間をずっと、ずっと経て、大赤字で会社設立に挑んだ「2014年12月1日」。
はぁとinternational→はぁとinternaitonal株式会社となり、今までより何倍も大きな覚悟で日本語教師業界へのチャレンジをスタートしました。
自分よりベテランの先生に会う度に、「私なんかがこんなことしていいのだろうか・・・。」と思ったことは数え切れないくらいあります。
私に対して反感の気持ちを持っているような噂を聞いたこともあります。
最初はそんな一言一言に傷つき、悲しむ日が多かったように思いますが、今の私を支えている軸は
「できるかできないかじゃなく、するかしないかだ!」
ここに自分の存在価値をおき、やっぱり同じ悩みをもつ日本語教師のために走り続けることに決めました。