ー日本語と日本文化で、日本と世界を繋いでいます-

menu

なるほど日本語.com

『戦地とジャーナリストと日本語を教えること』

私は、Facebookの『I AM KENJI』という記事を、毎年意識しています。

4年前の2月1日、シリアで後藤さんの死が伝えられた日です。

この日は、必ず、この『I AM KENJI』から、記事がアップされます。

 

そして、私自身、この後藤さんが亡くなったこの事件をきっかけに、「本当の情報を本人から得る」ということと、「そこから活動を生みだし、動き続ける」ということを意識し始めました。

 

Step1. 現地に関わっている人からの本物の情報を得て

Step2. 自分に何が出来るのかを、まずは自分1人で考えて

Step3. やりたいことを、思いのまま「自分らしい」言葉にし、

Step4. やる前からでも自分と周りに発信し、

Step.5 自分自身の行動力と周りの賛同者の知識と経験を合わせて

「世界平和を目指す」

というステップを決めました。

 

戦地で活動されている方と、その過酷さは比べてはいけないくらいだと分かっていますが、でも、重ねたいのです。

自分の人生を、自分が決めた生き方をしている者同士、と思い、できるだけ本物の情報を手に入れようと人生をかけている方々と心をシンクロさせたいのです。

こうやって、私自身の未来を、命を賭けて世界平和に飛び込んで行かれている方々の今の姿と重ねて、「私は「何」を「どうやって」形にし、進めていきたいのか」と考えます。

「何を」は、私の人生経験と共に変わっていくかも知れません。

「どうやって」も、皆さんの個性や経験からアイデアをいただき、変化していくかもしれません。

でも、「進める」には、「確固たる哲学と責任感を持つ人材」しか、皆が頼ってくれないのでは、と思っています。

だから私は、いつも

「リーダーになりたい」

と、自分に言いきかせています。

人を引っ張っていきたい、とかではなく、確固たる世界平和への哲学が自分に備わっていて、そして、周りのみんなに「この人は大丈夫。自分達を守ってくれるから」と、安心感を与えられる強さ=責任感を手にして、強く生きていきたいのです。

もし私の周りにこんな人が居たら、きっと私は安心して

「付いていきます、一緒に活動したい!」と言えると思うのです。

Step1.の「現地に関わっている人からの本物の情報を得て」のために、私は「JICリーダー」という人材育成を行い、世界中に、本物の情報をキャッチできるネットワークを作りたいと思って、今、進めています。

Step2〜5は、このStep1なくしては1ミリも進めません。

ここを、命を賭けて戦地に行かれている、いた、後藤さんや他の戦場ジャーナリストの皆さんの覚悟にほんの少しでもいいからあやかりたい、と思って、彼らのことを、日常生活でよく思い出すようにしています。

この思いを忘れないように、毎年『I AM KENJI』から届く2月1日の記事で、自分を引き締め、戒め、本物のリーダーへの道から外れないように生きていきたいと思っています。

命には限りがありますので。

「日本語でどうやって?」

の自他からの問いに

「愛と善意の結晶のような、この日本文化である日本語を使い、人の心に「言葉」から「意識」が生まれ、それが「言動」に繋がっていく、という連鎖を本気で信じているからです。人の心は言葉が作り出すものですから。」

と、今この記事を書いて、やっぱりそうだ!と今も思える自分を信じて、また来年の2月1日に振り返りたいと思います。

「日本語」と「日本文化」と「世界平和」と。

毎回お伝えして済みません。

世界平和へ、

JICリーダーとして、参加して下さる方を、いつも心からお待ちしています。

『JICリーダー』

 

以下、2019年2月1日の『I AM KENJI』の記事より、一部抜粋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2月1日になりました。4年前、後藤さんの「死」が伝えられた日です。今もシリアのどこかに、後藤さんは眠っています。

これから世界は、キリスト教徒を抜いてイスラームの人口が一番になると言われています。世界のムスリム人口は、多子化によって確実に増え続けています。特に北アフリカ・西アジア・中央アジア・南アジア・東南アジアでは子だくさんが多く、その子供たちが大きくなって、またISのような組織を作って、過激思想に染まらないとは言い切れません。10年後、20年後、世界はどこへ向かうのでしょうか?

過激派の一員になりテロを起こそうと思っている人たちが、復讐の連鎖を断ち切るためにはどうしたら良いのか?

これは大変難しい問いです。「罪を悪んで人を悪まず」という言葉がありますが、この教えが果たして自分の家族や身内を殺された人たちにも通用しうるかどうかは、そのような人たちの立場になって見ないことにはわかりません。ただ一つ言えることは、「憎しみの連鎖」からは『破滅=無』以外に何も生まれない、ということです。「憎しみ」の代わりに「善意」や「愛」を拡めていく以外に、「復讐の連鎖」を終わらせる方法はないように思われます。

そのためにも、今こそもう一度、後藤さんが命を張って伝えてくれたことの重みや伝えようとしたその現実を、しっかり心に刻み、さらにより多くの人に伝え続けていくことが必要ではないでしょうか。それこそが、後藤さんの真の遺志を継ぐことだと思います。

遠藤正雄さんのように、今も多くの民間のジャーナリストが行動しています。世界を動かすために。私たちひとり一人はまだまだ非力で小さい人間です。でも「無力感」に苛まれる必要なんてありません。みんなの思いがあるだけで、少しずつ世の中は変わっていくと信じています。

まずは、できるだけ生(ナマ)に近い「情報ソース」に触れることです。現地に行って、帰ってきた人の報告会や、彼らが撮ってきた記録の上映会、写真の展示会などに、自ら足を運ぶことです。ネットやSNS上にアップされた情報だけでは、その信憑性が確かめられません。できるだけ生の声を聞くために専門家の講演会や現地ボランティア団体の集会に出かけて行って、直接話を聞くことです。シリア国内には市民記者を含む4000人ほどのネットワークがまだ生きています。そのような人たちの声を日本語で発信し、受け取れるようにする仕組みを作ることも大切です。

<中略>

 

 

では例えば、ジャーナリストが自然災害の取材で危険な目にあった場合、同じように世論は「自己責任論」に傾くのでしょうか?

それはやはり、その人がどれだけの準備と、考えられる限りの安全を確保した上で、行動を実行に移したかによってくるでしょう。自然災害の場合でも、明らかに軽率で無謀な行動を起こした場合は、当然「自己責任論」は出てくるはずです。ただ、どれだけ安全対策をしても、不慮の出来事というのは起こり得ります。プロの消防士も時には命を落とすこともあります。

しかし自然災害と紛争地の取材の根本的に違うところは、前者は「自然の摂理」であり、後者は「人間の業」の結果だということです。シリア内戦は、人間による21世紀最大の大虐殺です。イギリスのNGO『シリア人権監視団』の報告では、シリア紛争の犠牲者総数は約51万人と推定されています。その犠牲者のほとんどが、アサド政権側の攻撃によるものです。この行為を止めさせることが可能なのは、人間である我々だけです。

後藤健二さんは、確かにその「人間」の中の一人でした。

困難な状況下に生きる人々に、生涯、救いの手を差し伸べようとした後藤さんの一生を振り返る時、可憐な一輪の花がシリアのどこかに今でも咲いているのだと思わずにいられません。

後藤さんの永遠の魂に「合掌」します。

2019年2月1日
I AM KENJI

関連記事

Follow SNS

最新の記事