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こんにちは、アミです(*’ω’*)

 

日本語学校での研修を目前に控え、

ようやく 「みんなの日本語」

の第2版 を手に入れました。

 

ステッカーと染みと書き込みだらけの

第1版にはゆっくり休んでもらうことに

します。

 

(画像:左 第1版、右 第2版)

みんにち

 

五年前、初めて手にした日本語の教科書でした。

 

「そうか、英語やフランス語の教科書があるのと同じように日本語にも教科書があるのか( ゚Д゚)!」

 

と、驚きとわくわくを感じたのを、

思い出します。

そして、そのわくわくは、

どんどん増していっています。

 

学習者の成長を感じたとき、

日本語の面白さに気づいたとき、

素敵な出会いに恵まれたとき…

 

日本語教師の毎日は、

たくさんのわくわくに溢れています。

 

そんな中で、

わたしが一番わくわくするとき、

それは…

 

 

自分の中に眠っている

「常識」

に気づかされた時

 

 

です。

 

例えば先日、

勤務予定先の日本語学校の卒業式でのこと。

気づいたのは

拍手 についての常識でした。

 

卒業生が入場するとき、

「拍手でお迎えください」

とアナウンスがありました。

 

こんなときの拍手は普通、

入場が完了するまで続けられますよね。

 

しかし、そうはなりませんでした。

一度盛り上がった拍手は次第に小さくなり、

入場の只中でしたが、

それ以上続くことなく

止まってしまったのです。

 

先生方は、

拍手を続けるように促していましたが

ぱらぱらとした尻切れ拍手になってしまいました。

退場も同様でした。

 

(その理由はいずれ明らかにしたいと思っています。

入学式で、何かヒントが手に入ったらいいな!)

 

こんなふうに、普段は気に留めることもない

「普通はこうするでしょう」

という、意識下の常識に気づく

 

「…えっ?なんで?」

 

という瞬間が、

わたしはとてもすきなのです。

 

式、というのは、

作法をつなげてできているようなもので、

礼や、卒業証書の受け取り方など、

目立つものは、予め対処が可能です。

エラーを予想できるからです。

 

しかし、隠れている常識は、

ことが起こって初めて明らかになります。

 

「入退場の際の拍手は、入退場が始まってから

全員の移動が完了するまで続けられるものだ」

 

書き出してみるとこうなるでしょうか。

(「~ものだ」という文型の授業の教案が書けそうですね)

拍手、と一口にいっても、その長さや大きさ、

そこに込める意味は、

決して一つではないのです。

 

わたしたちはそれを、

いちいち考えることなく、

自然に、

場面に合わせて使い分けているのです。

 

なぜ、入退場の時は拍手が長いの?

と問われれば、

そういうものだからだよ、

と答えるしかないかもしれません。

 

しかし、ほんの少しでも

そうだね、どうしてだろう

と、一緒に考えてみることには、

意味があるはずです。

 

自分の母語を教える、

ということはこんなことの連続です。

だから、

わたしはこうしていつでも

わくわくしていられるのだと思います。

 

 

ちなみに、

拍手の習慣というのはもともと日本にはなく、

明治時代に初めて西洋からもたらされたそうです。

手を叩いて、喜びや称賛、感謝を表す…

全人類に共通のサインかと思っていました。

 

…うむむ。

もっと掘り下げていきたいところですが、

今日はこの辺で!

アミでした(‘ω’)ノ

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